ミスチル桜井さんが好きすぎて・・・

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Starting Over~己を変えたい人全てに向けた応援歌~ 後編

『Starting Over』の深読み後編です。

 

前編はこちら

Starting Over~己を変えたい人全てに向けた応援歌~ 前編 - ミスチル桜井さんの脳内を勝手に深読みしてみた

 

では、2番の最初から見ていきましょう。

 

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〇追い詰めたモンスターの目の奥に

孤独と純粋さを見付ける

捨てられた子猫みたいに

身体を丸め怯えてる

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何かを変えていきたい。

でも、見せかけの威勢の良さとは相反して、実は不安でいっぱい。

虚栄心や自尊心で隠されていたこの臆病な心内によって、次の一歩を踏み出せない。

そして、今まで自分を縛っていたもの、懲り固められていたものを「見付ける」のですね。

 

これを1番同様、映画『バケモノの子』とリンクさせてみましょう。

この映画の後半部分では、主人公の師匠だったバケモノが、弟子である主人公が親元へ帰っていってしまったことで大きなショックを受けます。そして、主人公の師匠として頑張ってきた状態から、すさんだ毎日を送る生活に様変わりしてしまいます。

バケモノは、弟子に対して自分の弱いところを見せまいと、虚勢を張って生活していたのでしょう。しかし内心は、色んなことに怯えていたのだと思います。

そんな場面とリンクする歌詞ですね。

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〇あぁ このままロープで繋いで

飼い慣らしていくことが出来たなら

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新しいものを見つけていきたいとは思っている。

生まれ変わった自分に会いたいとも思っている。

でも、「変わる」という行為はとてもエネルギーのいることで、“今”に安住しているのが一番ラク

目の前の“今”がどこにも行かないようにロープに繋いで、惰性で生きていく(飼い慣らしていく)ことが出来たなら、どんなに気楽だろう。

その方がラクに決まっているんだけど、「それでも変わりたいんだ!」という内に秘めた決意が、「出来たなら・・・」のあとに内在されているのだと思います。

 

世の中の人たちも、今の自分を変えたいと思っている人はたくさんいるはずです。

というより、ほとんどの人は自分の中の何かを変えていきたいと思っているのではないでしょうか。

しかし多くは、変わる自信がない、きっかけがない、覚悟がないという形で、結局は何も変われない自分のまま、という状況にあるのだと思います。

この部分は、そんな気持ちに寄り添い、共感しながら、自分を変える(今の自分に向けた散弾銃の引き金を引く)ことを後押ししている、優しい文章だと思います。

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〇いくつもの選択肢と可能性に囲まれ

探してた 望んでた ものがぼやけていく

「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」

そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

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変わる?

今のまま?

どう進む?

自分に何ができる?
人は誰しも、常にいくつもの候補の中から選択を迫られます。

その中に、「こうしていきたい!」「こんな自分になりたい!」というものがあるはずです。

でも、選択肢が多ければ多いほど、「実はこうするべきなんじゃないか?」という迷いが生じてきます。

でもそんな胸中はお構いなしに、時は進んで行きます。

どんなに立ち止まりたくても、周りが変化していく以上、自分も何かを選択し、動いていかなければいけません。

ずっとずっと、その場にとどまっているわけにはいかないのです。

 

特にミスチルのようなミュージシャンは、時の流れに合わせて変化を付けていかないと、生き残ってはいけません。

この急激に社会が変わっていく時代に、その時その時のリスナーの心を打ち続けるためには、常に変化を続けていかないといけない。きっと、そこから逃げられはしないのでしょう。

 

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〇穏やか過ぎる夕暮れ

真夜中の静寂

またモンスターが暴れだす

僕はそうっと息を殺し

弾倉に弾を込める

この静かな殺気を感づかれちまわぬように

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穏やか過ぎる夕暮れとあります。

穏やかな夕暮れ、ではありません。

穏やか”過ぎる”夕暮れなのです。

あまりにも淡々と(穏やかに)過ぎていく日常。

それは、気楽で心地いいものかもしれない。

でも、穏やか”過ぎる”って、寂しいことではないでしょうか。

もっと刺激的な日々を送りたい一方で、この平凡な毎日に安住してしまっている。

そのことに本当は嫌気がさしてしまう胸の内が、この“過ぎる”という言葉で表現されています。

そして訪れる、真夜中の静寂。

日が暮れて夜になる(=平凡な毎日がとめどなく続いていく)と、余計に寂しくなってしまう。

それが続いていくことで、自分の中に残っていた「変わりたい!」という気持ち(=モンスター)が湧き上がって(=暴れ出して)きます。

でも、自信がない。

「こうなりたい」という自分と今の自分を比べた時、理想に近づけるのか不安でしょうがない。

そんな葛藤が続いていく中で、憧れに近づきたいという気持ちが、少しずつ少しずつ、増幅していく。

だけど、その気持ちを表面化できる(=静かな殺気を感づかれてしまう)ほどの勇気はない・・・。

 

ここの歌詞と非常に近いメッセージを感じるのが、Starting Overの8年前にリリースされた『彩り』の一節です。

憧れにはほど遠くって 

手を伸ばしても届かなくて

カタログは付箋したまんま 

ゴミ箱へと捨てるのがオチ

 

新しいことを模索し続け、トップランナーとして走り続けている桜井さんだからこそ、憧れに近づくための自分を変えていくことの難しさを知っているのだと思います。

だからこそ、弱者にとことん寄り添った優しい歌詞を生み出せているのでしょう。

 

因みに、この曲において「静寂」は、「せいじゃく」ではなく「しじま」と読みます。これは大和言葉と言って、読み方が異なるだけで意味はほとんど変わりません。(「今日」を「こんにち」と読んでも「きょう」と読んでも意味は変わらないのと同じことです)

桜井さんの作曲は、メロディを先に作って後から歌詞を当てていく、というスタイルですから、メロディに乗せた時にリズムがいいと判断してこの読み方にしたのだと思います。

しかしもう一歩踏み込んで深読みすると、「せいじゃく」が自然の中で物音がしないことを中心に表現されるのに比べ、「しじま」は人の沈黙を主に意味しているそうです。よって、「家の外が静かだなぁ」というよりは「僕の心の中は何も起こっていない空虚な状態だなぁ」のような、非常に内向きの意味合いが強い比喩表現であると考えていくと、この曲にはそちらの読み方の方が合っている気がします。

 

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〇今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

こうしてずっと この世界は廻ってる

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

きっと きっと

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一番では“溜め”に使った「僕」の前の拍に、大サビでは「今日も」という文字を入れ込む。

桜井さんらしい手法だなと思う反面、初めて聞いた時は鳥肌が立ちました。

と、そんな個人の感想は置いておいて・・・

 

一番の歌詞に、「こうしてずっと この世界は廻ってる」が加わります。

そして、「何かが終わり また何かが始まるんだ」が繰り返されます。

何かを終わりにして何かを始める(=自分の中の何かを変えていく)のは、確かに大変なことなんだけど、でも、世界はその繰り返しで進んできたんだよ。

だから、重い腰を上げて、一歩踏み出してみようよ。

そうしたら、きっと何かが見えてくるはずだよ。

きっと・・・

きっと・・・

ここはそんな、それまで自分たちと向き合ってきた上で語られる、リスナーに向けられたメッセージなのだと思います。

 

1番のサビでは、閃光が「今までのミスチルという存在をいったんリセット(何かが終わり)して、新しいミスチルをもう一度構築していこう(何かが始まる)よ!」と叫んでいたのでした。

そこで心動かされた桜井さん自身が、今度はリスナーにも「新しい自分を構築していこうよ」と訴えている・・・

そういった構造であると考えると、曲全体がきれいにまとまっていくと思います。

 

多かれ少なかれ、人生のあらゆる場面で、私たちは自身を「変えていく」ことを強いられます。

そこで躊躇してしまうと、周囲や時代に取り残されてしまいます。

しかし、「変えていく」ことって凄く怖くて、労力の要ることです。

この曲は、そんな「変えていく」ことの大変さに寄り添いながら、「でも、頑張って変えていこうよ」と背中を押してくれます。

そしてそのメッセージを発信しているのが、今までミュージシャンとして変化、そして進化し続けてきた桜井さんだということが、この曲の歌詞に重みを与えていると言えるのではないでしょうか。