ミスチル桜井さんが好きすぎて・・・

~目じゃないとこ耳じゃないどこかを使って見聞きをなければ見落としてしまうブログ~

斜陽~美しき過去を想いながら憂うモノローグ~ 前編

どうも、口笛少年です。

今回取り上げるのは、『斜陽』。

18thアルバム『REFLECTION』のうちの一曲です。

 

“斜陽”とは、

①夕日、沈みゆく太陽、そしてその光や、それらが見える時刻、といった「夕方」に関連するもの

という意味がありますが、転じて、

②栄光が転落し、衰退・没落に向かう様子

も指します。

よって、「栄えた」と「没落」という2つが描かれていることになります。

またこの曲名は、太宰治の小説『斜陽』から取ったものでもあります。

なので、小説との関連も交えて、歌詞を深読みしていきましょう。

 

※このブログに書かれていることは、あくまで個人的な見解です。

桜井さんの本意をあぶり出そうというよりは、私の勝手な解釈を楽しんでいただくためのものです。

なので、「なるほど!ちなみに私はこう思ってます!」といった意見の交流はぜひしてみたいのですが、「桜井さんはそんなこと言ってないはず!」みたいなおっかない非難はこのブログの趣旨に反するので、コメントを承認しない可能性があります。ご了承ください。

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「夏が終わる」 その気配を

陽射しの弱さで無意識が悟るような

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ミスチルの曲で「夏が終わる」といえば、メジャーデビュー曲『君がいた夏』のこの部分ですね。

 

今夏が終わる もうさよならだね

時は二人を引き離して行く

 

これが後の深読みに関わってきます。

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時の流れ 音をたてぬ速さで

様々なものに翳りを与えてゆく

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翳りを与えていく・・・まさに『斜陽』を言い表す表現です。

その翳りを、「時の流れ」が与えていきます。

つまりこの曲は、時が流れることで「栄えた」状態から「没落」に向かっていくんだよ、という曲全体の構造の説明になっていると言えるでしょう。

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心の中にある 青い蒼い空

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ここで「青い」「蒼い」という2つの「あおい」が出てきます。

この2つは似ているようでだいぶ違った意味になります。

単純に色を表す場合だと、

青…青系統全般を含めた色

蒼…くすんでいて緑がかった色

という感じです。

ただし、どちらかというと「青」の方は、雲一つない空やきれいな海のような、澄んでいて爽やかな、プラスの印象を与える色のイメージが強いかと思います。

対して「蒼」は、“顔面蒼白”という熟語に使われていることから分かるように、くすんでいて、マイナスなイメージを持つ表現に使われることが多いようです。

 

そして、歌詞に出てくる「青い蒼い空」です。

このような、ある意味相反する2色が共存していることは、不自然なことと思うかもしれません。

しかしこの空は、「心の中」にあるのです。つまり、物質的な情景としての空の色というよりは、気持ち的なもの(イメージ)と考えるべきでしょう。

そうなると、とてもしっくりくる表現になります。

人の心の中が、100%澄んでいたり、100%くすんでいたりすることはあるでしょうか。

一見澄んだ心の人に見えても、ちょっとくらいはくすんだ部分はあるはずです。

一方で、一見くすんだ心の人に見えても、どこかに僅かでも、澄んだ部分を発見できるのではないでしょうか。

よってこの1行は、逆説的な表現かもしれませんが、実際はとても普遍的な人間の様を描いているのだと思います。

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今尚 雲一つなく澄み渡る

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そして今振り返ると、それは雲一つなく澄み渡っているというのです。

過去は往々にして美化されがちです。

実際は“青”に“蒼”が混じっていても、あとから振り返ると“青”の部分しか思い出せないということは、よくあることではないでしょうか。

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陽気な声がそこには響いてて

青空の下 人は集い笑ってる

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ここでは、「蒼」という表現は抜け、「青空」だけが広がっています。

そこに、楽しそうな人々がたくさんいる、というイメージですね。

そしてここは、本当に人が集い笑っているわけではなく、直前の歌詞同様、「僕」の心の中にある、美しい過去をイメージしているのでしょう。

太宰治『斜陽』との関連性

太宰治の小説『斜陽』は、語り手の心中を、誰に言うでもなく自分で叙述する、「独白体」という形式で書かれています。

その小説と同じように、この曲は語り手である「僕」の心の中を淡々と描いています。

そして、誰かに届いてほしい、というよりは、とにかく心の中を解像していくことに終始しているのです。

 

今まで見てきたように、この曲は「あなた」や「君」といった二人称の言葉が一切出て来ません。

これは、ミスチルの曲の中ではかなり珍しいことです。

例えば、『独り言』という自己完結しそうな題名の歌でも、何度も「君」という言葉が出てきます。「君にだけ聞こえりゃいいんだよ」という歌詞通り、独り言と言っておきながら、「君」にだけは届いて欲しいと願っています。

 

有名どころで例を挙げると、『生きろ』は同様に二人称が出てきません。

しかし『生きろ』は曲名からも分かる通り、相手を意識した曲です。「追いかけろ」「問いかけろ」「生きろ」と、聞き手に訴えかけています。

 

そういう意味で、この曲は太宰治『斜陽』になぞるような「独白(英訳すると”モノローグ”)体」チックな表現が、この曲の大きな特徴と言えるでしょう。