ミスチル桜井さんが好きすぎて・・・

~目じゃないとこ耳じゃないどこかを使って見聞きをなければ見落としてしまうブログ~

『ヒカリノアトリエ』~ひたむきな生き方に寄り添う、優しさあふれる応援ソング~ 前編

ヒカリノアトリエは、36thシングルで、NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の主題歌。

NHKとのタイアップということで、発売日を1月11日にしたとのことです。

 

この曲が『べっぴんさん』の主題歌になることについて、桜井さんはこのようなコメントをしています。

べっぴんさんとの出会いが僕らにまっすぐな希望の歌を与えてくれました。

ひたむきな物語にそっと寄り添えるような曲でありたいと強く願っています。

 

そんな、主人公の“ひたむきさ”に寄り添う歌詞について、考察していきましょう。

 

 

※このブログに書かれていることは、あくまで個人的な見解です。

 

桜井さんの本意をあぶり出そうというよりは、私の勝手な解釈を楽しんでいただくためのものです。

 

なので、「なるほど!ちなみに私はこう思ってます!」といった意見の交流はぜひしてみたいのですが、「桜井さんはそんなこと言ってないはず!」みたいなおっかない非難はこのブログの趣旨に反するので、コメントを承認しない可能性があります。ご了承ください。

「雨上がりの空に七色の虹が架かる」

って そんなに単純じゃない

この夢想家でも

それくらい理解ってる

 

この曲は、「虹」が1つのキーワードになっています。

 

「雨が降ったら空に虹がかかるように、嫌なことがあってもそのうちいいことがあるよ」

というメッセージは、色んなところで見受けられると思います。

そんなメッセージへのアンチテーゼから、歌が始まります。

そうやって上手くいくことばかりではないんじゃないか、と。

 

この夢想家とは、おそらく桜井さん自身のこと。

桜井さん自身、「虹」を比喩表現として用いた作品をいくつも書いています。

 

でも、そんな自分だって、人生が全てそんな単純なものではないことはよく分かっている。

それを分かっていながらも、そんなメッセージを発信してきた・・・

 

Mr.Childrenの楽曲で「雨上がりの虹」に関連する歌詞には、こんなものがあります。

 

もうちょっと もうちょっと 頑張ってみるから

ねえもっと ねえもっと いい事があるかな

イメージはいつでも 雨のち晴れ

いつの日にか 虹を渡ろう

(雨のち晴れ)

 

ああ 雨上がりの遠くの空に 虹が架かったなら

戸惑いや不安など 簡単に吹き飛ばせそうなのに

乾いた風に口笛は 澄み渡っていく

まるで世界中を優しく 包み込むように

(口笛)

 

Walkin' on the rainbow 

雨上がりの路上に輝く

飛び出したmy dream

(虹の彼方へ)

 

君は九月の朝に吹き荒れた通り雨

叩きつけられて

虹を見たんだ そこで世界は変わった

(僕らの音)

 

「頑張ったあとの“いい事”」「戸惑いや不安を吹き飛ばせそうなもの」「夢」「心を寄せる“君”」・・・

共通して言えるのが、虹という存在をプラスのイメージとして扱っているということです。

そして、マイナスイメージの雨が止んだ後に、必ず虹が架かっている。

これだけ、「雨上がりの空に虹がかかる」曲を生み出してきた桜井さんでも、歌詞の通り全てのことが、

マイナス→プラス

に生じるわけではないと言っているんですね。

 

大量の防腐剤

心の中に忍ばせる

晴れた時ばっかじゃない

湿った日が続いても腐らぬように

 

例え雨が止むように嫌なこと、悲しいことが通り過ぎても、空に虹がかかるように、いいことが起きるとは限らない。

だからこそ、心が腐ってしまわないように、つらい日の中でも前向きに生きていけるような「防腐剤」を心の中に持っておこうよ。

その「防腐剤」とは何か?

それが、「たとえば」と前置きがあった上で説明されています。

 

たとえば100万回のうち

たった一度ある奇跡

下を向いてばかりいたら

見逃してしまうだろう

 

自分の願いや夢や希望への思いが、雨の日が続いてしまうと薄れてしまうかも知れません。

だからと言って下を向いて、悲観的な考えばかりに囚われてしまったら、数少ないチャンスも取り逃がしてしまうかもしれない。

それが繰り返されることで、心が腐っていってしまう。

 

だから、数少ないチャンスを信じて、前を向いて生きていくこと。

それが、「防腐剤」の1つになるのではないか。

 

さぁ

空に架かる虹を今日も信じ

歩き続けよう

優しすぎる嘘で涙を拭いたら

虹はもうそこにある

 

雨上がりに、虹がかかるとは限らない。

でも、絶対にかからないわけではない。

だから、虹がかかることを信じて、前を向いて歩いていこう。

心が腐っていかないように。

「優しすぎる嘘」=「雨が降ったあとは、必ず虹がかかるよ」というメッセージ。

それは気休めの嘘なのかもしれないけど、人を前向きにさせる、優しい嘘です。

絶望の中でもそんなメッセージを信じてみたら(=涙を拭いたら)、「虹」が見えるかもしれない。

 

・・・と、ここで、歌詞全体を見渡した時に矛盾が生じます。

冒頭の歌詞はこれです。

 

「雨上がりの空に七色の虹が架かる」

って そんなに単純じゃない

 

そう言っておきながら、サビの最後では「虹はもうそこにある」と言い切ってしまう。

 

どうして、このような矛盾が生まれたのか?

それは、“虹”というものが持つ奥深さにあると思います。

前述した曲の他に、ミスチルの楽曲で“虹”が出てくる曲に、『蘇生』があります。

 

二車線の国道をまたぐように架かる虹を

自分のものにしようとして

カメラ向けた

光ってて大きくて透けてる三色の虹に

ントが上手く合わずに

やがて虹は消えた

胸を揺さぶる憧れや理想は

やっと手にした瞬間にこの姿消すんだ

 

虹は「憧れや理想」の比喩表現ではありますが、不安定ですぐに消えてしまう、儚い存在の象徴だという考え方ですね。

 

虹を信じて、虹にたどり着いて。

でもその“虹”が本当にいいことなのかを決めるのは、その人の行動と、気の持ちようではないでしょうか。

確かに人生は、「雨上がりの空に虹が架かってハッピーエンド」のような単純なものではありません。

でも必ず、雨が上がったら虹はかかるんだと、信じ抜くことが出来れば、「優しすぎる嘘」を信じ抜くことができれば、その虹を確かなものに出来るのではないでしょうか。

 

そうやって、人生の不確実性を描いたという点では、終始一貫している歌詞であると言えます。