es ~Theme of es~ ~不確実な時代の捉えどころのない人間の心を描いた、魂の叫び~ 前編
『es ~Theme of es~』は、Mr.Childrenが1995年5月10日にリリースしたシングルです。
この「5月10日」という日は、メジャーデビューアルバム『EVERYTHING』のリリース日ということで、Mr.Childrenにとって特別な日です。
最近だと、『Mr.Children 30th Anniversary Tour 半世紀へのエントランス』の東京公演がこの日に設定されたことで、話題になりました。
またこの曲は、ドキュメンタリー映画『【es】 Mr.Children in FILM』の主題歌。なので、曲名はそのままズバリ『esのテーマ』を英訳したものとなります。
◎「es」の意味について
〇esとは?
「es」とは、フロイトが提唱した心理学用語で、「無意識に自分の心を突き動かすもの」のような意味になります。(私は心理学の専門家ではないので、以下言葉の選び方が不適切な際は、ぜひご指摘ください)
つまり、自分が「よし、これをやろう」と意識的に考えるのではなく、無意識下で本能的に行っているものを指します。
例えば、「食欲(思う存分おいしいものを食べたい!)」「性欲(あの異性に近づきたい!)」「睡眠欲(眠いから寝たい!)」のようなもの。
〇egoとは?
しかし実際は、「好きなものだけ食べたいけど、栄養が偏っちゃうよな・・・」「本当はもっと話しかけたいけど、あまりガツガツ行き過ぎると嫌われちゃうよな・・・」「眠いけど、今は会議中だから頑張って起きていないと・・・」という形で、必ず「制約」を伴ってしまうものでもあります。
このように、esに制約を与え、コントロールする働きを持つのが「ego(自我)」です。
ego(自我)とは、“自分を自分として意識する”こと。自分という存在を意識できるからこそ、欲望のままに生きることは恥ずかしいという考えが芽生え、行動に抑制が生まれます。
〇super-egoとは?
その上で、「良心」「道徳心」などと訳されるのが、「super-ego(超自我)」と呼ばれるものです。
自分勝手でわがままな人のことを「エゴイスト」と呼んだりしますが、例えば「あの異性と付き合いたい。(=es)だけど、むやみに話しかけたりデートに誘ったりしたら嫌われるかも知れない。(=ego)そこで、どうやらあの異性が好きらしいあの人(恋敵)の悪い噂を立ててやろう」なんて考えてしまったら、egoが強すぎる状態(=エゴイスト)になってしまっていると言えると思います。
その時、「でもそんなことをしたら、あの人が悲しむはずだ。だれも傷つかない別の方法を考えよう」という形で、自分自身だけではなく、社会的にふさわしい行動を促す意識が「super-ego(超自我)」となります。
◎「恋」と「エゴ」について
この曲の1つ前のシングルである『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』には、こんな一節があります。
恋なんて いわばエゴとエゴのシーソーゲーム
これはつまり、「恋っていうのは、社会的にふさわしいかどうかより、自分にとってどうするのが得なのかを考えるものなんだ」という意味になります。
そう解釈すると、桜井さんが捉えた「恋」というものは、とても不安定で、均衡を保ちづらい、まさに“シーソー”のような状態であると言えますね。
そしてこの『es~Theme of es~』にも、「恋」という言葉が出てきます。
そこでも、シーソーゲームで桜井さんが示した、いわば「恋」の定義をもとにしながら、解釈していこうと思います。
さて。
前置きがとても長くなってしまいました。
ここから、それぞれの歌詞を深読みしていきたいと思います。
※※このブログに書かれていることは、あくまで個人的な見解です。
桜井さんの本意をあぶり出そうというよりは、私の勝手な解釈を楽しんでいただくためのものです。
なので、「なるほど!ちなみに私はこう思ってます!」といった意見の交流はぜひしてみたいのですが、「桜井さんはそんなこと言ってないはず!」みたいなおっかない非難はこのブログの趣旨に反するので、コメントを承認しない可能性があります。ご了承ください。
Ah 長いレールの上を 歩む旅路だ
風に吹かれ バランスとりながら
Ah “答え"なんて どこにも見当たらないけど
それでいいさ 流れるまま進もう
「レール」とは、人生に敷かれた自由の利かない道。
自分で切り拓いた道ではなく、別の誰かが敷いたレールの上を、ただ走らされているだけ。
風に吹かれてバランスを崩してしまいそうになるくらい、弱々しくて危なっかしい状態。
当時のMr.Childrenは、ミリオンヒットを連発する超売れっ子ミュージシャンでした。
でも、売れっ子になればなるほど、周りには人が群がり、身動きが取れなくなっていく。
いつの間にか、そんな窮屈な“レール”を歩かされているだけの自分。
今、自分がやるべきこと、やりたいことの答えを見つける余裕がないまま、ただ惰性で進んでしまっている。
そんな自分に嫌気がさすけど、どうしたらいいか分からないし、分かろうとしてももう疲れてしまった。
だから、いったんこの長いレールの上を淡々と進んでいこう。
そんな売れっ子だからこそ抱える苦悩が描かれているように思えます。
また、心理学的な観点から見たらどう解釈できるでしょうか。
「こうしなければいけない」という、いわゆる「超自我」に縛られて生きていることが、「長いレール」に例えられていると考えることができます。
でもその「超自我」は、おそらく自分の力で手に入れたものではなく、他人から手に入れた、きつい言い方をすると“押しつけられた”もの。もしそこに100%の納得を伴わないとすれば、その義務的な感情は、風で飛ばされそうなくらい、危ういものとなってしまうでしょう。でも、何とか自分を保って、バランスを取りながら進んでいる。
これは、当時の桜井さんの立場を描いていると同時に、誰もがぶつかる普遍的な苦悩でもあるのではないでしょうか。
だれもが、自分が正しいと思った良心のみに沿って生きていけるわけではありません。建前やしがらみに縛られながら、何とか自分自身の思いとの均衡を保って生きていると思うのです。
「本当に自分のやりたいことって何だろう?」と常に自分に問いかけながら、日常に忙殺されていく。
その「本当にやりたいこと」が見つかる人は、ほんの一握りではないかと思います。
のちにリリースされる『GIFT』では、次のように歌われています。
「本当の自分」を見つけたいって言うけど
「生まれた意味」を知りたいって言うけど
僕の両手がそれを渡す時
ふと謎が解けるといいな
受け取ってくれるかな
この曲の主人公も、「本当の自分」「生まれた意味」を見つけることができないでいたのかも知れません。
これはオリンピックのイメージソングでもあったので、「それ」とは一般には「メダル」と解釈できると思います。(深読みすると他の解釈もできますが、それはまたの機会に…)
様々な勲章を手にしてきた桜井さんであってもなかなか見つけられなかった「本当の自分」「生まれた意味」を見つけるのに苦労したからこそ、オリンピックのメダリストであっても、「メダルを獲る」という1つの自己実現を果たした時になってようやく、そこにたどり着くのではないかと、歌っていたのかもしれません。
そんな、答えの見つからない長いレールの上を歩んでいる多くの人にとって、刺さる歌詞ですよね。
手にしたものを失う怖さに
縛られるぐらいなら
勲章などいらない
当時のMr.Childrenは、レコード大賞を獲ったり、オリコンチャートを席巻したりと、数々の“勲章”を手にして、人気絶頂でした。
しかし、何かを手に入れると、その瞬間にそれは失う恐怖に変わります。
人気も実力もあったはずのミュージシャンが急に凋落することも、決して珍しくはないですよね。
それも、元々の評価が高い人ほど、その落差は激しく、痛みを伴います。
それならいっそ、世間の評価の権化である“勲章”などない方が、気楽にのびのびと活動できるのかも知れません。
何が起こっても変じゃない
そんな時代さ覚悟はできてる
よろこびに触れたくて明日へ
僕を走らせる 「es」
まさに、今の地位をいつ失ってもおかしくないような、不安定な立場にいた桜井さん。
それを自覚していたからこそ、ただ無意識的に自分を突き動かす何かにすがって、ただがむしゃらに生きていたのだと思います。
「よろこびに触れ」たくて僕を「走らせる」という表現が、ゆったりした曲調の中にも疾走感を生み出し、聴く者を奮い立たせてくれるように感じます。