くるみ~トリプルミーニングに込められた人生の葛藤~ 前編
こんにちは、口笛少年です。
今回取り上げるのは、『くるみ』。
のちに『幸福の食卓Vr.』としてリメイクもされる、人気曲の1つです。
そんな名曲『くるみ』について、歌詞に沿って、自分なりの考えで徹底的に解説をしていきます。
※このブログに書かれていることは、あくまで個人的な見解です。
桜井さんの本意をあぶり出そうというよりは、私の勝手な解釈を楽しんでいただくためのものです。
なので、「なるほど!ちなみに私はこう思ってます!」といった意見の交流はぜひしてみたいのですが、「桜井さんはそんなこと言ってないはず!」みたいなおっかない非難はこのブログの趣旨に反するので、コメントを承認しない可能性があります。ご了承ください。
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ねえくるみ
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まず「くるみ」とは、
①「くるみさん」という女性の名前
②「来未」=未来の逆=過去の自分
または、
③“来る未”来=将来の自分
といった、トリプルミーニングだと考えています。
よく、①②だけで語られることが多いですが、ここでは③も付け加えたいと思います。
因みにここで表されている「将来の自分」とは、明日明後日程度の未来ではなくて、数年又は数十年単位の、比較的遠い未来のことを指します。
つまり、最初の「ねぇくるみ?」とは、
それら3つに同時に語りかけていると言えるでしょう。
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この街の景色は君の目にどう映るの?
今の僕はどう見えるの?
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ここで言う「この街の景色」とは、今の自分が見ている世界・置かれている状況です。
「くるみ」がトリプルミーニングであると考えると、この「今の僕」はどんなことを意味しているのか。
「くるみさん」に失恋した後の男かもしれません。
「くるみさん」から離れて、他の女性と恋に落ちた後の男かもしれません。
(女性であれば、「くるみさん」を男性に置き換えて思いをはせる方もいるでしょう)
夢に向かう途中の自分かもしれません。
夢が叶ったあとの自分かもしれません。
夢に破れたあとの自分かもしれません。
色んな状況、というより、人生のほぼ全ての場面に当てはめることができる歌詞なのです。
自分が願っている夢、こうなりたいと思っている将来の自分に問いたい。
自分がやっていることって、間違ってないかな?
夢見た仕事に就けた、思い描いていた自分になれた気がする。それでも辛いことはいっぱいあって、悩みは尽きなくて。こんな情けない姿を、あの頃の自分が見たらどう思うだろう?胸を張って見せられるかな?
あの女性に別れを切り出された時、もっと自分を磨いて、見返してやろうと思って頑張ってきた。そしてふと立ち止まって考えてみた。まだまだ、そんな自分にはなれていないな・・・
そんな、様々な場面に投影できる、ものすごく深みのある2行と言えるでしょう。
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ねぇくるみ
だれかのやさしさも皮肉に聞こえてしまうんだ。
そんな時はどうしたらいい?
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誰かのやさしさも皮肉に聞こえてしまうくらい、鬱屈した自分。
やり切れない気持ち。
思い通りにいかないもどかしさ。
そんな感情は、多かれ少なかれ、人生のどんな場面にもあるのではないでしょうか。
『くるみ』を書いた当時の桜井さんは、傍目からはどう見ても成功者でした。
でも、売れたあとに桜井さんが色んな苦悩と闘っていたということは、過去の楽曲を読み解くと明らかです。
夢を叶えたはずの自分だけど、こんな苦悩と隣り合わせなんだ。
どうしたらいいのか教えてくれよ、お前はどう思う?
そんな、桜井さん自身の葛藤が垣間見える歌詞です。
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良かったことだけ思い出して
やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で
今動き出そうとしている
歯車の一つにならなくてはなぁ
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良かったこと=今までの自分が描いていた理想、そして理想を追い求めていた日々
歯車=目の当たりにしている現実、そしてうんざりする周りの社会に染まっていくしかない自分
と取ると、ここで表しているのは「理想と現実のギャップ」なのだと思います。
若い頃に思い描いていたキラキラした理想。
本当は、もっとアウトローな自分でいたかった。
でも実際は、世の中の秩序に流されていくしかない現実。
桜井さんが選んだ「ミュージシャン」という道は、他者に流されていく人たちへ疑問を投げかけたり、自分の想いを自由に吐き出せたりするような道にも思えます。
でも実際は、周りの大人が作った舞台の上(歯車の一部)で自己を表現するしかない日々だったのではないでしょうか。
人気絶頂期の桜井さんでも、実は虚しさを感じていたのだろうと、想像できるような歌詞です。
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希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
どんなことが起こるんだろう?
想像してみるんだよ
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「増える」と「震える」という踏韻が、心地よいリズムを作って、リスナーの心をも震わせます。
それまでずっと「くるみ」に問いかけ続けてきた「自分」ですが、ここで初めて、1つの答えを導き出します。
希望していた分だけ失望は増える。
願いが強ければ強いほど、失った時の落胆は大きくなる。
それは痛いほど分かっているのだけど、明日への希望を失わないように生きていくことで、気持ちが楽になるんじゃないか。
無理してでも、希望に満ちた明日を思い描くことで、日々の憂鬱な気持から解放されるのではないか。
失恋した過去ではなく、次にどんな異性と恋に落ちていけるか想像することで、前向きな恋ができるようになるのではないか。
・・・と。
これは、完全な救いの言葉というよりは、無理やり導き出した論理だと言えるでしょう。