くるみ~トリプルミーニングに込められた人生の葛藤~ 後編
引き続き、『くるみ』の考察をしていきます。
前編はこちら↓
くるみ~トリプルミーニングに込められた人生の葛藤~ 前編 - ミスチル桜井さんの脳内を勝手に深読みしてみた (hatenablog.com)
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〇ねえくるみ
時間がなにもかも洗い連れ去ってくれれば
生きることは実にたやすい
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忘れられない君との思い出。
それを忘れ去ることが出来ればラクになるのに。
夢を追ってキラキラしていたあの頃。
それを無かったことにすれば、今の自分を受け入れることがもっと楽だったはずなのに。
でも、なかなかそうはならないよな・・・という意味もそのあとに隠れていることでしょう。
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〇ねえ くるみ
あれからは一度も
涙を流してはいないよ
でも 本気で笑うことも少ない
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「くるみさん」と過ごしていた頃は、本気で泣いたり笑ったり、刺激的な毎日だった。
でも、「くるみさん」を失った今、その存在があまりに大きかったことを改めて知ってしまったんですね。
「笑う」と対比された「涙」ですから、嬉し涙というよりは、悲しい時に流れる「涙」のことを指しているのでしょう。
そんな涙を流すことは、苦しいことのようにも思えますが、もっと切ないのは、涙を流すほどに感情が揺れ動く出来事が、少しもなくなってしまった時なのだと思います。
「くるみさん」との思い出は、嬉しいことも悲しいことも、全てひっくるめて楽しかった。でも今は、あまりにありふれたつまらない毎日なのだと嘆いているんですね。
また、くるみ=過去の自分としたら、どんな意味が浮かび上がってくるか。
過去、夢中で夢を追いかけてきた自分は、苦しいことがあって涙を流すこともあれば、嬉しくて楽しくて、思いきり笑うことができた。
でも、夢を諦めたのかも知れません。
当時の夢は叶えたけど、その場に安住してしがみつくだけの惰性の毎日を送っているのかも知れません。
いずれにしろ、あの頃の自分にあった情熱や気迫はもうどこかへ行ってしまった。
その結果、涙を流すような悲しみもない代わりに、心から笑えるようなこともない、空っぽの自分が出来上がってしまったのでしょう。
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〇どこかで掛け違えてきて
気が付けば一つ余ったボタン
同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに
出会う事で意味が出来たならいい
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きっと、「くるみさん」との別れは、何か大きな失態による壮絶な喧嘩別れというよりは、何というわけでもないけど、些細なすれ違いの連続で、気付けば心の距離が開いてしまった・・・というものだったのではないでしょうか。
そんな、すれ違い=ボタンの掛け違いが生んだ今の自分。
同じように掛け違いが起きた女性と出会うことで、「くるみさん」との別れに意味が生まれるのだということになります。
つまり、「くるみさん」との別れを「それはこの(くるみさんとは別の)女性と出会うための布石だったのだ」「この別れは自分の人生を形作るための必然だったのだ」と、つらい過去を正当化できるのだということです。
また“ボタンの掛け違い”は、恋に限ったことではありません。
例えば夢見たのが、ミュージシャンのような、ほんの一握りしか成功できないような世界だった時。
成功のためには、才能の他に、オーディションやデビューのタイミング、サポートスタッフとの関係性、時代の流れなど、あらゆるピースが揃っていないといけません。
そのどれか1つでも、ボタンが掛け違うと、成功することはないでしょう。
それで成功せずとも、「だから自分はダメなんだ」と思わず、自分の合う場所は別の所にあるんじゃないかとポジティブに生きていくことで、自分の人生に別の意味を持たせることができるでしょう。
また、男性というボタンを女性というボタンホールに挿入する、ということに、性的な意味合いが、あるようなないような・・・
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〇出会いの数だけ別れは増える
それでも希望に胸は震える
十字路に出くわすたび
迷いもするだろうけど
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1番と比べると、
「増える」と「震える」の踏韻はそのままに、
「希望」と「失望」の対比が、ここでは「出会い」と「別れ」に、「明日」が「希望」に置き換わっています。
そして、「どんなことが起きるか”想像してみる”」だけだったのが、2番では「十字路に出くわす」くらいまで歩みを進めているのが分かります。
因みに、この4行は倒置になっています。
つまり、本来の文に並び替えると、
十字路に出くわすたびに迷いもするだろうけど、出会いの数だけ別れは増える。それでも希望に胸は震える。
となりますね。
倒置法は、並び替えた後の前半部分を強調する表現方法です。
また、桜井さんはある対談で、「2番のサビっていうのは必ず、一番この歌の中で言いたいことが表れてほしいなと願いつつ詩を書いている」と発言されています。
ただし、この曲の場合は1番のサビとの対比になっていることから、それぞれのサビの歌詞をミックスし、
明日に心を震わせて、希望を抱いて踏み出していこうよ。
という前向きなメッセージに、この曲の主張を集約したのだと読み取ることもできるかもしれません。
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〇今以上をいつも欲しがるくせに
変わらない愛を求め歌う
そうして歯車は回る
この必要以上の負担に
ギシギシ鈍い音をたてながら
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ここも倒置ですね。
転調もすることから、かなり桜井さんの込めた想いの重さを感じられる部分です。
デビュー以来ずっと、色んな「愛」の形を模索し、歌い続けてきた桜井さん。
でも、歌詞に出てくるきれいな言葉とは裏腹な、胸に秘めたままの感情はたくさんあるでしょう。
そんな、目の前のリアルな現実を無視して、きれいな言葉を並び立てたとしても、そのリアルな日常は悲しいくらい単調に回り続けます。
そして、歌詞として浮かび上がった表現と、内に秘めた感情にギャップが大きくなるたびに、日常という歯車は鈍い音を響き、胸を締め付けていきます。
「欲しがる“のに”」とか、「欲しがる“けど”」みたいな逆説表現ではなく、「欲しがる“くせに”」と表現することで、自嘲的なイメージが強くなりますね。
つまりここの部分は、リスナーへ贈る言葉というよりは、桜井さん自身の内なる言葉に向けた、自己批判なのではないでしょうか。
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〇希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみよう
出会いの数だけ別れは増える
それでも希望に胸は震える
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直前の激しい歌詞から、一気にリスナーに語りかける優しい歌詞に変化します。
きれいに、曲全体の歌詞を組み合わせてラストに繋げる、集約的な部分ですね。
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〇引き返しちゃいけないよね
進もう 君のいない道の上へ
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上手くいかない現実から立ち止まっていた自分。
「道」からはみ出して、ただただその場で足踏みしていた自分。
今まで通ってきた道を思い出して辛くなることもあるけど、余計なことを思い返す(引き返す)のではなくて、まずは未来に向かう道へと踏み出そう。
「くるみさん」はもういない。
「過去の自分」は二度と戻って来ない
「遠い将来の自分」がどうなるのか、知る由もない。
そんな、3つの意味の「君」がいない道の上だけれど、まずは目の前の一歩を踏み出していこう。
それが、この曲全体を通して語られた苦悩や葛藤に対する、とてもシンプルな「答え」だったんですね。
ずっと煮え切らない物語だったのだけど、最終的にはハッピーエンドで終わったと言えます。
そんな、上手く行き続けるはずのないリアルな現実と、かすかな救いというバランスが、この曲が聴く者を虜にする理由なのではないでしょうか。
余談:PVについて。
この曲は、PVの人気が根強いことでも有名です。
バンドを諦めかけたおじさんが、一念発起してバンドを結成する、というストーリーが、曲と一緒に描かれています。
グループ名は「Mr.adult」。
明らかに、「Mr.children」をもじっています。
主人公のボーカルの男性は、家族がいた頃を懐かしみながら、昔共に夢を追いかけた仲間と、もう一度だけ花を咲かせてみないかと、話を持ち掛けます。
そんな仲間たちも、必ずしも上手くはいっていない現実の中で、悩みもがいていました。
こうして、「Mr.adult」の挑戦は始まり・・・
そして最後、「Mr.adult」と「Mr.children」のどちらのグループ名にしようか迷って、結局「Mr.adult」にマルが付き、「Mr.children」にバツが付いた紙きれを桜井さんが見つけ、自身のグループ名にする・・・というオチとなっています。
鬱屈した現実の中で奮起したおじさんたちの夢が詰まった、もう過去のことになってしまった夢の切れ端。
それを、未来を追いかけ始める若者が拾って、新たな物語が始まる。
過去と未来が交錯したこの複雑な歌詞を、見事に映像化した素晴らしい動画ですよね。